今宵限りのダンスホール

日本にダンス(洋舞)はどう伝わってきたのか?
安政年間、開国を求める外国船の中で「舞踏会」が開かれて以来、欧化主義がとられ内外の上流階級の社交の場として1883年(明治16年)「鹿鳴館」が誕生し、華やかな舞踏会が催される。
1929年(昭和4年)社交ダンスはに大流行する。
ダンス教授所やダンスホールが全国にできダンサーも3000人にものぼった。しかし1940年「ダンス禁止令」が発令され第1次大戦まで続く。
その11月1日朝日新聞の見出しには「今宵限りのステップ」と愛好家たちがダンスに別れを惜しんだ。奇しくも翌年には鹿鳴館が解体される。
1947年「職場ダンス」が流行し東京後楽園では「百万人の舞踏会」が開かれる。
熱狂するダンスブームはダンスホールがキャバレーに変貌しながらやがて風営法の規制を受け沈静化していく。
1957年ロカビリーブーム・カリプソ
1961年映画「ウエストサイド物語」大ヒット
1962年ツイスト・ドドンパ・チャールストンスタイル
1974年ゴーゴー喫茶ブーム
1977年ジョン・トラボルタ主演映画「サタダー・ナイト・フィーバー」でディスコブーム
1984マハラジャ(東京麻布)
1991年ジュリアナ東京(ディスコ)
1996年周防正行監督映画「Shall we ダンス?」で社交ダンスブーム
2000年パラパラ
2002年トランス